まののすべて¦まるわかりガイドブック

はじめまして。

まの(@69mmamm69)です。

今回は、

まののすべてがわかる!

といっても過言ではないプロフィールを書いていきます。

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

 

略歴

本名:まゆ
あだな:まの(いとこ達みんな「乃」が入っていて、かわいいな~と憧れを抱き、命名)
生年月日:1994年1月26日生まれ(25歳)

 

小中高時代

 

元々は関東に住んでいたが、
両親の離婚により、石川県へ。

母の実家は、
厳しい家庭であったため、
【迷惑をかけないように】と教育される。

小学生時代の話はまったく覚えてない!!

というくらい友達との思い出がないです…

綱引きの全国大会へ行ったことくらい?ww

自宅では、よく怒られていた小学生時代でした。

あの頃を振り返ると、
・トイレの電気が消せない
・物をよくなくす
・鍵ですらどこにやったかわからない
・集団登校に間に合わず、一人で登校

ADHDってやつですね…(笑)

「やりたくなくてやってないわけじゃないんだもん」

とよく親に言ってた気がします。

 

あとは、
転校を2回したので、
どんな人とも話せる自信はそこで身についたように思います。

元々目立つことは大好きな私。
中学生時代は、
生徒会や部活の副部長。
ボランティア活動など

まれにみる活発少女でした。

 

そんなこともあり、
まぐれで県内有数の進学校へ入学。

しかし、

・想像以上に勉強ができない!
・やりたかった部活もできない!
(吹奏楽部で楽器を買わなきゃいけなかったけど家にお金がないから断念)

思春期まっただ中の私は
どうすればいいかわからず
不登校に。

進学校に通う人って
わりと裕福な家庭の人が多いんですよ。

医者の子どもとか、旅館の子どもとか。

 

いや~
かなり引きこもってましたね…

【お金がない】という
コンプレックスを脱却するために、
進学校に通いながら
アルバイトをすることを決断(今だから言える)

 

アルバイトを始めるなら
学校にもいかなきゃな~

 

という思考になり、
すんなり学校生活に戻りました。

(本気であと1つ授業休んだら留年してましたw)

不登校に関して、
本当に不登校になってよかったなと思うことがひとつあります。

親友に出会う。

今でも、
尊敬しあって、支え合える。
そんな関係ができる親友に出会えて本当によかったなと。

不登校から脱却後は、
【人のためになにかしたい!!!】
という気持ちと、
元々病弱で入院経験も何回かあったため、

看護師を目指しはじめる。

(もともと進学校に入ろうとしたのも
医師になりたいと思ったからですが、
【国公立の大学に浪人なしで入る】
これが家庭での条件だったので、早々に諦めます。)

【住居地の変遷】
まれにみる点々とする女の子だったので改めて書きます

0歳~6歳:神奈川県川崎市
両親は石川県出身、父の転勤で神奈川県へ。
THE☆都会っこ という感じで育ちました

7歳~8歳:東京都
両親の離婚⇒再婚で引っ越し

9歳~18歳:石川県
離婚の為、母の地元石川県へ

 

受験~看護学生時代

最初は某国立大学を目指すも

センター試験でことごとく失敗。

浪人もできなきゃ、私立も受けられない。

かろうじて、入れるかも…

くらいの公立大学へ受験
(倍率が5倍超えてたので、なかなか周りからは心配される)

まあ、無事合格し、

ENJOY☆大学生活

と思い、部活に入るも合わず。

(マネージャーが12人もいるサッカー部へw)

 

看護学部はなかなかに忙しく、

なおかつ一般教養の授業は、単位がまったくとれずwwww

4年のぎりぎりまで一般教養とってました(通常は1年次で取り終えるもの)

 

まあ、クラスの中でもポンコツ認定されて浮いてましたね。。。

どこいっても、

「やべえやつ」と思われる子でした。

 

恋愛について

小学生時代から恋多き女の子でした。

自分に自信がなかったり、

お父さんがいないことがコンプレックスだったのか、

「幸せな家庭を築くんだ!!!!」

と強く思い続けて、恋愛ばっかりしてました。

 

彼氏の人数…

数えることをやめました。

 

親近感もあり、元気で活発だったので

好きになってくれる男の人もそれなりにいて。

中学~高校1年生くらいまでは

「せっかく好きって言ってくれたのに、断ったら相手に悪い」

という謎理論の元、

告白されたら基本的に付き合う。

 

そんなスタンスでした。

 

単純に好かれているのがうれしい。
認められてるのうれしい。

そんな気持ちもあったのだと思います。

 

そんな中でも、
高校1年生の時に
すごく大好きな人に出会い、
高校3年間は思い続けていました。
告白した回数は数知れず。
(2回目の告白で付き合うも4か月で破局)

そんな中でも、
「別にその人が忘れられなくてもいいから」

と言ってくれた人と付き合ったり…

まれにみる、くずっぷりです。

 

大学になり、
恋愛に関しては少し落ち着き、
大学での恋人は2人。

どちらも、
このダメ女にはもったいないくらいの素敵な方で。

どちらも2年弱とそれなりに真剣なお付き合いをさせてもらいました。

社会人になって、
大学時代の彼と別れた後はまたあらぶってました。

看護師というハードワークなのもあり、
結婚というワードに縛られていたのもあり、

遊んでいたというか…
さまよっていたというか…

最近になって、

振り返ると『恋愛観が変わったな〜』と感じることが多く、

ターニングポイントとなったのは、

【彼氏に浮気をされる】

 

今振り返ると、
本当にいい経験だったなと。

 

自分が本気で好きになって付き合うという経験があまりないので、

【彼氏への愛が薄い】

 

これって悲しいことなんだ。

気持ちが常に浮気していたんだろうな。

彼氏1人に本気で向き合うことが出来なければ、

どんな人にでも

向き合うことは出来ないよな。

そんな風に思います。

 

適応障害⇒休職⇒転職⇒休職⇒退職

やっと社会人での話です。

 

大学時代にあこがれていた、大学病院へ就職。

なにもできない自分のふがいなさに

日々嫌気がさしてました。

「自分はできるほうだろう。」

「やらなくてもできる」

謎の自信に包まれており、
日々の勉強はおろそかに。

どんどん進んでいく同期をみて、

「こんなの私じゃない」

「働いたら、お金も入るし自由なんじゃないの?」

 

働いたらゴールだと思っていた私は
先が全然見えませんでした。

そんな中で、
一人だけ苦手だなと思う先輩ができてしまいました。

その先輩の前だと緊張して失敗してしまう。

なにかと細かいところまで指摘される。

「次はなに言われるんだろうか」
「明日は先輩と一緒に仕事じゃなきゃいいな」

その先輩との仕事の時は、
昼休憩が10分しかとれない。
そんな日もありました。

1年間はなんとかのりこえましたが、

そんな風な苦手意識を思ったまま、2年目になりました。

2年目になったある日、
その先輩との仕事の時に

薬剤ミスのインシデントをしてしまったのです。

「自分一人では判断できないから、先輩に聞きながらやろう」

苦手な先輩だったけど、
わからないことはしっかり聞き、
言われたことは自分なりに頑張って考えて。

先輩と一緒にやった点滴交換で
重要薬剤が3倍以上の濃度で患者さんに注入されてしまいました。

その時は気付かなかったものの、
夜勤者からの指摘で重大なインシデントを起こしてしまったことに気付かされました。

自分一人で考えて、
やったインシデントであれば
それなりに流せたのかもしれませんが、

苦手な先輩としっかり関わりながらやったのに
インシデントになる。

そして、
その先輩はかばってくれませんでした。

軽い感じで

「ごめんね~」と。

頑張ってた糸が徐々に切れていった感じでした。

ああ、頑張ってもダメなんだ。

もうこの先輩とやっていけないな。

そんな風に考えるようになってから
仕事に急にいけなくなりました。

最初は逃げるように、
「仕事に行きたくない。」
「いかなくていい理由ないかな」
そんなことを考えるようになったら
知らぬ間に体調不良になってました。

そのあとは、
仕事を休む⇒心療内科へ⇒適応障害診断⇒3ヶ月休職

という流れでした。

まだ5月の初めころ。

「誰も信頼できない。怖い。」
「働くことができないダメなやつ」

そんな風に思っていたため、

外に出るときは

マスク・防止・サングラス・イヤホン

手放せませんでした。

一番つらかったのは、
大好きな音楽を聞いているはずなのに
まったく聞こえてこない。

すきなものでさえ、
受け入れてもらえないのか…

そんな気持ちでいっぱいでした。

1か月もすぎると徐々に元気になっていき、
余裕で外に出られるように。

リハビリのため、
午前中は職場の中にある図書室で作業する。

そんな状態を過ごした後、復職をします。

復職するまでは、
転職を視野にいれ、転職活動をしてみたり、
教員採用試験を受けてみたり、
いろいろなことにチャレンジしてみましたが、
ことごとく落ち続けました。

『復職したほうがいいよ』
ということなんだと考え、復職を目標に頑張ることにしました。

復職は、
《半日働く⇒6時間働く⇒1日働く》
と段階的に実施していくものでした。

いろんな病棟へ行き、
いろいろな看護業務をします。
(派遣看護師のように、人手の足りない部署へ行きできることをサポートする)

2週間ほど復職したのちに
『やっぱりここではもう働けないな…』
そんな気持ちになっていました。

理由としては、
・バタバタとしている急性期の病院で、
他の看護師のように働けるようになる自信がない。
・教育部長(復職へ向けていろいろ関わっていた人)が、病棟の状況をしらずに私たちを派遣していることに嫌気がさす。
・行きたい科に行けない現実を知る
・しんどいなと逃げたくなった時に、精神的に支えてもらっていた看護師の方が、
自分の味方ではなく、組織の人間だと気付いたとき。(仕事として私と関わっているだけだと気付いた時)

自分の気持ちの問題や環境などいろいろな点でひっかかることがあり、
退職することを決めます。

退職してからは、
とても良い引っ越し先が見つかったり、転職活動をして内定を4つもらったりと
なにかを失って、良いものが入ってくることを実感しながら、
新しい職場へいきます。

新しい職場では、大学病院からきたような人はおらず、できる範囲で看護師を頑張るというような職場でした。
つらい思いをした私にとって、人間関係が良い・心優しい環境だなと思いながら働き始めます。

半年ほどは、何も疑問に感じずひたすら業務をこなすことに必死でした。
「前と同じ失敗は繰り返さないぞ。」

人間関係を大切にしながら、できる範囲のことをやる。

それでも、また人間関係に悩みました。
今度は、同じ年だけど先輩という立場の看護師。

私の後に入ってきた看護師への態度と私への態度が明らかに違う。

怒られるわけではないけど、強く注意をされる。

「私ってそんな悪いことしているのかな?」

どんどん居場所がなくなっていく感覚がしました。

プラスイメージから入る私。
期待されているほど仕事できないし。

「あれもできない。これもできない」

そんな風に注意されていくと心が削られていく。

とりあえず、毎日向かう。
そんな風になっていっていました。

いきなり逃げるように職場に向かえなくなった私。

「いやいや、二回目じゃん。逃げるな、立ち向かえ」

そう思っていた私は、数日の有給をもらい、また夜勤に出勤しました。

元気はない、でもとりあえず頑張る。
そして、夜勤をこなせた。

「できた。変われたよ。私。」

そう思ったのもつかの間。

また次の出勤はできない自分になっていました。

 

何回も自問自答繰り返します。

「逃げてるだけじゃん。行けるでしょ。行く理由探して、職場へ向かうんだよ」

 

それでも、やはり心が拒否をしていました。

心に素直になると身体が動かなくなる。

2回目の退職を決めました。

 

現在の私

2回目の退職をしたのが、

2019/3/18

看護師をやめて何になるんだろう。

どうやって私は生きていくんだろう?

 

全く見えていなかった私ですが、

3/5に発信活動を始め、目まぐるしく生活が変わっていっています。

・ブログ
・ツイッター
・イベント企画
・傾聴をする
・傾聴布教活動
・オンラインサロン運営
・アドバイザー就任
(2019/07/07現在)

 

これからも、

『幸せの輪が広がる社会を創る』

そのために、さまざまなことにチャレンジしていきたいと思っています。

 

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